この会は、自死、事故、病気、などで大切な方を亡くされた方たちの
、前向きに生きるための分かち合いの会です。 |
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何故この会を立ち上げたのか? 〜滝本洋子の体験談〜 |
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一人娘の久美子が突然この世を去ったのは昨年12月31日の夜中でした。
元夫から明け方の電話で娘の危篤を知らされ、病院に駆けつけた時は、もう既に彼女の意識はなく、それから12時間後、娘は私の目の前で息をひきとりました。
享年24歳でした。
原因はうつによる練炭自殺です。
その時の私はあまりにもショックで、半狂乱になり、立ち上がることもできない状態でした。
葬儀が終わり1、2週間は気が抜けた様な生活を続け、やがて娘の死から1ヶ月も過ぎる頃になると、いくつかの自死の会に参加する様になりました。
そこで私と同じ様な体験をされた方々に多くお会いすることになります。
それらの会に出席して私が一番感じたのは、愛する人を亡くされて、もう6年、7年、或いは十何年も過ぎているのに、肉親の死から立ち上がれずに愛する人が亡くなったことを昨日の事の様に悔やみ、嘆き、悲しみ、その傷を引きずっている人があまりにも多いという現実を目にしました。
私は娘の死から49日も過ぎた頃にはもう随分元気になりました。
でも決して彼女がいなくなった寂しさが完全に消えた訳ではありません。
そんな私を見て近しい友人は私は普通ではないと驚きます。
娘ともう二度とこの世では会えないということはとても辛いことです。
娘の死から数週間は私の人生で一番の辛い時期でした。
今まで離婚や家出や娘の登校拒否やたくさんの辛い体験を乗り越えてきた私にとって、娘の死は耐え難い絶望とどん底の体験でした。
これ程の苦しみが世の中にあるとは想像を絶するほどの傷みを体中で体験いたしました。
世界で一人しかいない私の大事な娘が死んでしまったのです。
この現実をなかなか受け入れることができず夜中には発狂しそうになり、大声で絶叫したこともあります。
しばらくは外に出ることができませんでした。
娘と同じ年頃の娘さんを見ることが耐えられないのです。
少し落ち着きを取り戻し、マーケットに買い物に行っても彼女の好きなものを見ると、胸が張り裂けるほどの思いが湧き上がってきます。
ゼリー、明太子、アイスクリーム、焼き鳥、そんなものが私を苦しめるのです。
宅急便で送るための丁度いいサイズのダンボール箱を見ても胸が痛くなります。
一人暮らしの娘に私はよくお茶や洗剤などを送っていたのです。
何を見ても娘を思い出し涙がにじんできます。
やがて私は、4キロも痩せ、やつれ、すっかり老け込んでしまいました。
鏡に映った自分の顔を見たとき、そんな自分になんだかむしょうに腹が立って来ました。
毎日、毎日、家の中で悶々として暮らしている自分に嫌気がさしてきたのです。
そして私は自分で自分の心を奮い立たせるために自分の講演会をしようと決めました。
立ち上がるために滝本洋子の講演会を企画したのです。
講演会のタイトルは
『自分を愛することの大切さについて』
当面その講演会を成功させることを目標に生きようと決めたのです。
そして自分で自分を奮い立たせ前進しました。
講演会は思っていた以上の方々が集まったくださり、私は皆さんから救われた気が致しました。
彼女の死後、私の夢の中に、娘が現れたのです。
それはとてもリアルで現実味を帯びている夢でした。
私がふと見上げると天からまばゆいばかりの光が私に静かに近づいてきます。
それはとても美しく、輝く光の玉でした。
その玉が娘と分かるのです。
私はある目的地まで行こうとしています。
それは100メートル程先で、さほど遠くはないのですが、私はそこまで飛びながら目的地へ進んで行こうとしています。
何故か地上2、3メートルのところを飛びながら目的地に向かっていると、その光の玉は私の横をぴたりと寄り添いながらついてきます。
『がんばれママ、大丈夫だよママ、私がついてるよ』
と光の玉は私をしきりに励ましてくれるのです。
私の力が弱くなり、1メートルほどぐーんと低くなりかけると
『大丈夫だよ、大丈夫だよ、何の心配もいらないから大丈夫だよ。』
また光の玉は私を励ましてくれます。
その言葉を聞いて、私は元気になり、また元のところまで上昇するのです。
そして、目的地にたどり着くという不思議な温かく心安らぐ夢でした。
でもこれが夢ではなく娘のメッセージだと私には分かりました。
私は彼女の魂までもが死んでしまったのではないということは理解していました。
娘が私の背中越しにいつも見守っていることを知っています。
彼女の存在を今も感じるのです。
娘とは形が違ってしまっても今もいつも一緒にいる事を知っています。
私は魂の永遠性を知っています。
だから直ぐに娘の死からも立ち直れたのです。
娘の死は、彼女の魂の決断の結果だと私は信じています。
でもこれは何かの特定の宗教を信じているとか、そういうことではありません。
私ははっきり言って宗教は好きではありません。
表面上どんなに見えようともそれは魂の決断だと理解しています。
その思いが私の支えです。
でも、他の人たちはそうではないのです。
過去の後悔の中で生き続けています。
愛する人の死の直後、あるいは1、2年はそれも仕方のないことです。
大切な人の死とは、それ程辛く、悲しい出来事なのですから。
でも考えても見てください、今、私たちは、残された私たちは現実に今を生きているのです。
愛する人が亡くなっても私たちは生きているのです。
私たち残された遺族にできることは、この生を精一杯、死んだ人の分まで生きることではないでしょうか?
後悔と悲しみと懺悔の日々の中で後ろ向きに、暗くうつむきかげんに不幸せに今を生きることではないのです。
そんな生き方は、死んだ人たちには迷惑な話だと思うのです。
何故なら自分の死が愛するものたちをより不幸にして、前に進めなくしてしまっているのですから、安らかになれるはずがありません。
残されたものたちにできることは、愛する人の死から何かを学ぶ。
そして、今という現実を前向きに精一杯生きていくことだと思うのです。
私はある自死の会に出席させて頂いた時、元気に自分の意見をいい、
魂は永遠なのだと話をしたら、その会の主催者からこう言われました。
『そんな教科書的な話はここではやめてください。
この会はみんなで悲しみを分かち合うための場所なのですから・・・』
私はみんなに元気になって欲しかっただけなのです。
みんなに本当のことを理解してもらい、その悲しみから一人でも早く立ち上がり、元気になって欲しいと心の底から願っての発言だったのです。
そこで、私は自分で自分の望む形の分かち合いの会を作ろうと思いました。
どこにもない元気で前向きになれる分かち合いの会を自分で主催しようと思ったのです。
それが
元気で前向きになれる分かち合いの会
〜 大切な人を亡くした人のために〜
娘は中学2年生の時に、私たたかう中学生という登校拒否の体験談の本を出版しました。
世の中に登校拒否の子供の気持ちを訴えかけ、多くのマスコミから取り上げられ話題になった本です。
そして亡くなる寸前まで、2冊目の本、自分のうつの体験談を執筆中でした。
彼女が世の中に訴えたかったこと、自分の体験を通し、体験を発表することで、うつの人々を救いたい。
それが娘の願いでした。今、娘は私の肩越しに応援してくれています。
『ママ頑張れ、大丈夫だよ。久美も一緒だよ。』
娘の声にならない声が、聞こえてくる様です。
一人でも多くの悲しみを抱えた方々の何かのきっかけにこの会がなれたら、娘の死が皆様のお役に立てたことになるのと私は思うのです。 |
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前向きに生きる会 |
代表 滝本洋子
連絡先 maemuki@washoart.com |
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