自己信頼。
この地球上のすべての人が自分を本当に信頼出来たら、どんなに素晴らしい世界になるでしょうか。
だけど現実はほとんどの人が自分を信頼していないような気がします。
むしろほとんどの人が自分に否定的のようです。
そして他人にも否定的です。
私もそうでした。
自分に否定的で、世の中にも否定的でした。
だから私は昔自分が嫌いでした。
そんな時代の私には葛藤がずいぶんありました。
でも今は自分を信頼しはじめています。
信頼しても良いのだと気づきはじめています。
自分を信頼すると言うことは心地良いことです。
おだやかで豊かで自分を 嫌っていた時とでは、天国と地獄ほどの心の差があります。
でも人は何故自分を信頼出来ないのでしょうか。
その理由は自分への恐れです。
恐怖。
これが一番の原因です。
自分を信頼などしたらとんでもないことになる。
だから自分を信頼しないで、誰か力のある人の言う通りに従っていたほうが安全だ。
自分は信頼するのに値しない人間だ。
自分を信頼して自分で責任を取るなんて自信がない。
自分を信頼するなんてとんでもない思い上がりだ。
そもそも自分を信頼するなんて発想すらない。
私もそうでした。
でも本当にそうでしょうか。
自分って信頼出来ないのでしょうか。
自分が自分を疑っていて、本当に人を心から信頼など出来るのでしょうか。
でもどうすれば自分を信頼していいのか分から ない。
あなたはそう思われるかも知れません。
自己信頼は、自分が自分を信頼しても良いのだと自分に許してあげることです。
あなたが自分なんか信頼できないという思い込みを止めることです。
それにはまず自分を好きになってください。
どんな自分も好きになってください。
好きになろうと決めてください。
そして自分を愛してあげてください。
だけど嫌いな自分を好きになったり、ましてや愛するなんて出来ない。
私ははじめそう思いました。
だけどよくよく振りかえって自分の育った環境を見ると、自分を愛せないのにはそれなりの理由があるのです。
たとえぱ幼いころから親に否定されて育った環境。
両親はいつも忙しく愛情を感じられなかった環境。
ほめられた記憶がない環境。
学校教育も自分を否定する心を育ててしまいます。
会社もそうです。
沢山の自分を愛せなくする環境が周りにあふれています。
そんな中で自分を愛する、自分を信頼するなどと言う発想は生まれてきません。
だから今自分を愛していなくても、自分を嫌っていてもけして悲観しないでください。
それは当然なのです。
私は今から5、6年前のある日のことです。
こんなことがきっかけで自分を愛することをはじめました。
その日私は、家のベランダからいつものように外の木々や花をぼ一っと見ていました。
突然こんな想いが心の奥からこみあげてきたのです。
『自分を愛しなさい。どんな自分も愛しなさい。自分を愛することを学ぶのはとても大切なことです』
一瞬自分の沸き上がる想いに戸惑いました。
「自分を 愛することを学ぶ?」
「何それ、どういうこと?」
自分の想いに自分が混乱して いました。
私の頭では自分を愛するなんて考えてもいないのに、
心の奥ではそう 聞こえてくるのです。
その日から私は自分を愛するとはどういうことか考えました。
そしてやっぱり私は自分を愛したいのだと感じました。
だから自分を愛そうと決めたのです。
そう決めて毎日過ごしていると、不思議と自分が少しづつ可愛 く思えてきたのです。
何かが足りないと感じていた自分を私はそのまんま愛し始めていました。
だけと昔の癖でユーツな時は自分が嫌になる時があります。
そんなときも私は嫌な自分をそれで良いのだと認めてあげて、そんな自分をやっぱり愛しています。
「よしよし今日は少し落ち込んでいるね私、それでも良いんだよ、 そんな私も好きだよ」
どんな自分も全部認めてあげています。
自分を愛するよう になったら次にちょっと自己信頼を意識してみてください。
自己信頼は自分が自分を愛していることが前提です。
自分を好きになれない人が自分を信頼しょうと するのは、それはまるで砂の上にお城を築くようなものです。
どんな自分も許し 、自分をいたわり、自分を好きになり、自分を愛せるようになったら、そしたら 次に自分を信じようと決めてください。
でも信じるというのは、まだ信じていな いから無理に信じ込みたいというニュアンスがあります。
本当にこんな自分を信 じちゃって良いの、と言うためらいすら感じます。
でも自分がそう意識してそう 自分が決めることにより、はじめてそうなって行きます。
この世の中に真から自分を信頼している人がはたしてどれほどいるのでしょうか。
まず信じようと意識 してください。
私は毎日夜蒲団の中で自分にこう言い続けました。
「私は私を信 じてる。私は私を信じてる」
念仏みたいに何度もそう言い続けていると安らいだ自信のようなものが体中からふつふっとこみあげてくるのが不思議でした。
それはとても心地よい感覚です。
そしてだんだんこのまんまの自分を信頼しても良いのだと思えるようになりはじめていました。
あの日ベランダで私が私にささやいたように、人の心の奥には自分でも気づかない大きな大きな何かがあることを実感します。
あなたにも私にも、人間の心の奥には自分の表面の意識をはるかに超えた深い知恵が確かにあるのです。
私はその力を信頼しています。
その力があるから自分を信頼できます。
私は 直感などでその力に導かれています。
自分を信頼しようと決めることにより、その力がますます沸いてくるような気がします。
そして、ある日私にこんなことが起こりました。
夜明け前にふと目がさめた時、何故か急に私の中から愛のエネルギーがあふれだしたのです。
それはどんどんどんどん止めどもなく私の胸の中から溢れ出して来ました。
すべての人々が限りなく愛しいという感覚です。
地球上のあらゆる人々が愛しいというこみあげる感覚です。
私の胸の中からこんなにも沢山の愛が、突然訳もなく溢れ出していることに不思議な気がしました。
それは決して夢でもなく私の現実でした。
その溢れる愛の量の多さに圧倒されました。
愛は後から後から私の中から溢れ出してきます。
この時、はじめてあのマザーテレサの気持ちが理解できたような気がしました。
以前私は「愛だ、愛だ」という人にどこか反発を感じていました。
その言葉に違和感すら感じていました。
私は昔、強度の愛情欠乏症候群だったのです。
その私の中からこんなにもとめどもなく後から後から愛が溢れだしているのです。
あんなに欲しくて欲しくてたまらなかった愛が私の中から溢れ出しているのです。
何故急に胸の中から愛の光が溢れ出したのか、その理由は今でもわかりません。
何か眠る前に特別のことがあった訳でなく、ただ夜明け前に目覚めたら私の胸の中から愛の光が溢れ出したのです。
そして、私は思いました。
『やっとここまでたどり着いた・・・』
それからすぐに又こう思い直しました。
『そうじゃない。やっとそれを思い出した』
最近私は感じます。
人の心の中にある本質は理論や理屈を超えて光のエネルギーそのものなんだと。
私という存在は私の表面の意識を遥かに超えた偉大な存在なんだと。
私は常に私の力に導かれています。
「私ってすごい」
わたしの性格が
この人生造ってる
ほら波風立たせゆさぶって
壁をこしらえ苦しんで
一山超えたら次の山
あーわたしってすごい
まるごと自分の人生創造し
欠点を足場に成長してる
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