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滝本洋子からのメッセージ |
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○自殺を考えているあなたのために
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○大切な人を亡くしたあなたのために
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生きる意味を探している人のためのコース |
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人が生きる意味。
今多くの人がその本当の意味を探し求めているような気がしま す。
「人は何故生きる」
これは15才の時から問い続けてきた私のテーマでした。
周りには辛いことばかりで、なんでこんな中を人は生きて行かなくてはならないのだろうかと疑問だらけでした。
悲しいことや、嫌なことや、悔しいことや、苦 しいことばかりなのに何故生きるの?
でもその環境を牛きることが私の中で大きな心の肥やしになっていると気づきはじめたのは、それから何十年も後になってからのことです。
人は人生の川の流れの中で沢山のことを体験します。
流れの中で少しづつ少しずつ大きくなって行き、やがてすべてと一つになっている大いなる海にたどり着き海全体となって行きます。
この川の流れの中では自分自身を保ち、自分そのものであることが大切です。
そう私が気づいたのは私が離婚した後のことです。
自分自身の小石の立場からあらゆることを体験します。
それは決して私はお隣りの小石になれないし又なる必要もないのです。
私は私の石のまんまで、私の小石の立場から人生と言う川を生きて行きます。
私は私以外の存在にはなれません。
私は私色の小石を生きることが、大いなる海の豊かさにつながって行きます。
今まで私に自分自身であることの大切さ、自分の思いを大事にする、などと言う人間が 幸せになる上で一番基本となる考え方を誰も教えてくれませんでした。
親も、教育の現場である学校も、私たちの集合意識が創りあげた社会も、会社も、別れた夫も…。
我慢することを私は一番そこから学ぴ取ったような気がします。
それも又一つの貴重な私の体験です。
川の流れの中で、沢山の体験を重ね、泣いて笑って、そこから学んで、はじめて自分自身を生きる大切さに私は気づきました。
自分を生きることの大切さを知り、そしてやっと本当の自分と出会えた気がします。
それまでは目隠しをして人生を生きていたような気さえします。
ある高名な和尚さんが、人がこの世に生まれて きた理由は修業のためだと言いました。私も昔はそう思っていました。
修業なんだから自分の人生は苦しくて当然なんだとあきらめていた時期もありました。
でも人生を修業だととらえることにより、生きることを狭い中に制限をしてしまうような気がします。
私は修業だと言う言葉から息苦しさと無力感を感じます。
現在の自分の状況をネガティブなものとみなし否定しているようです。
今の自分が駄目だからもっと修業をつんでより良くなろうとする意味があるようです。
人はどんな状況でもけして駄目な存在ではないのです。
ただ人はより多くの体験を積んで、よりその人が大きく拡張しているだけなのです。
人がこの世に生まれてきた理由はただ単に、魂が生きることを体験するためです。
その体験の分だけ魂は大きくなります。
その魂の大きさと広がりを成長と学びと呼びます。
ただ単にそれだけのことなのです。
その体験は、あらゆる体験です。
苦しいこと、辛いこと、うれしいこと、幸せなこと、ゆかいなこと、人間の感情のすべてを魂は体験して行きます。
自分自身を 精一杯生きて、自分を自分が体験して、その人の得意なことをして、その喜ぴの波動が社会に広がっていく時、もっと地球は素敵な星になるのではないでしょうか。
そしてだれもが自分自身を信頼することがいかに大切かと言うことに気づいてい きます。
そうなった時はじめて自分探しの自分に出会うのです。
この世が修業だと自分で決めてしまうと、辛いだけの修業に満ちた人生を引き寄 せてしまう危険があります。
それはあなたの人生の中でマインドコントロールに なってしまう可能性もあります。
決して人生には辛いことだけがある訳ではありせん。
感動や、よろこぴや、笑いや、輝かしいことや、誇らしいことや、素晴 しいことや、嬉しいことがいっぱいいっぱいあります。
人生には喜ぴがあふれいます。
人生には光が満ちています。
体験なんだと思えば、軽さが違います。
人生の生きる目的は修業ではありません。
魂の単なる体験なんです。
「生きる目的」
我を知る道
それが人生
我を生きる
それが
生きる目的 |
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